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プロフェッショナルサポーター コラム

水蒸気の街

2019.5.8 UP

L&G GLOBAL BUSINESS, Inc.代表/ホテルプロデューサー
龍崎翔子

「仙人が住んでそうだね」

北海道の層雲峡温泉で廃業した観光ホテルを引き継いだ、と告げると知人は無邪気にそう言った。

その言葉をきいて、私は数年前、富良野で宿をしていた時に訪れた台湾の観光客のことを思い出した。彼女と2人で北海道旅行にきて、富良野に来る前に層雲峡温泉に泊まったのだという。

「布団がふかふかで、自分が誰だか分からなくなるかと思ったよ」と恍惚とした表情で彼は言った。そんなにも人の心を奪う温泉街が世の中には存在するのかと、にわかには信じがたい気持ちで、初めて聞く層雲峡という地名に思いを馳せた。山奥にある温泉街で、そびえ立つような旅館が点在しているのだという。私の脳裏に描かれたまだ見ぬ神秘的な層雲峡の姿は、確かに仙人が雲に乗り霞を食べて過ごしていそうな情景だった。

縁とは不思議なもので、その2ヶ月後に私は層雲峡を訪れることとなった。それが、ホテル雲井との出会いだった。

客室は50室。高齢となった女将が、大切にしてきたホテルを志ある人に継ぎたいという話だった。

「私は旅館でお客さんとお話しするのが大好きなの。天職だと思ってる。旦那さんはもう亡くなってしまったけど、旅館をやらせてもらえて本当に幸せ」

大雪山の麓、国立公園の敷地内の一番いい場所に建ち、バブル期には何度も増改築を繰り返して少しずつ大きくなったホテル雲井。何度買収話も持ちかけられても、断り続けて旦那さんと作られたこの宿を守り抜いたという。

当時、私たちはまだ富良野で小さな宿を母となんとか切り盛りしている状態。どう頑張ってもお力になれないと思い、丁重にお断りした。車に乗り込み、エンジンをかけるとどんどん離れていくはじめて訪れた層雲峡は、どんよりと雲がかかり、崖は切り立って、水墨画の世界のようだった。そして不思議なことに、2年後に再び舞い戻ることになった。その頃の私は、京都でHOTEL SHE, KYOTOを運営していて、半年後に姉妹店のHOTEL SHE, OSAKAの開業を控えていた。女将が、いよいよ継ぎ手の見つからないまま宿をたたむと知り、私たちはたとえ微力であったとしてもこの美しい景色のある街の力になろうと、ホテル雲井を引き継ぐことを決意した。本社のある京都から、片道10時間。当時2人しかいなかった社員のうちの1人と、アルバイト1人が層雲峡に渡った。

よく、どうして誰も名前を聞いたことがないような街でホテルを始めたのか聞かれる。その時、私は決まってこう答える。街のブランド価値はいつも誰かによって作られたものであると。だから、有名な街でお店をすることは、他の誰かが築いた資産に乗っかっているだけだと私は思う。私たちは、一瞥もくれられないような、なんでそこ?と思われる場所に人を集めることで、その街の魅力を世の中に伝えていきたいと願ってる。

大雪山は、かつてアイヌ語でカムイミンタラ、つまり「神々が遊ぶ庭」と呼ばれていたという。

ホテル雲井は、かつて女将の旦那さんが愛したという「雲井の滝」が由来とされているが、「雲井」という言葉もまた、雲上人つまり身分の高い人が出入りする場所(多くの場合、宮中や皇居)という意味を持っている。ホテル雲井をリノベーションするにあたって、新しい名前をつけるか悩んでいた時に、ホテルの名前と街の名前がリンクしていることに気づき、ホテルクモイ、という名前を残すことに決めた。

ホテルクモイをリニューアルする時、そのコンセプトをどこに置くか非常に悩んだ。私たちのホテルは、空間内に街の空気感を織り込むことで、旅の演出装置になるように設計している。今回は、道外出身者はほとんど名前を知らないこの街で、ホテルを通じて街のブランドイメージを作るという大きな挑戦でもあった。

悩んだ末に、私の頭に浮かんだのは、墨で描いたような荘厳な景色の中に雲が漂い、霧が立ち込め、滝が水飛沫をあげ、温泉の湯気が沸き立ち上る、仙界のような層雲峡の光景だった。

どんな土地であっても、地形や気候が全く同じに場所は決して存在せず、それゆえそこが辿る歴史はどことも異なっており、生じる文化、ひいては街の空気感は唯一的な存在になると思う。

人の地縁的な縛りが薄れ、どこでも働き、生活することができるこの時代。たとえ有名な場所でなくても、独特の空気感が漂う街に住み、その侘びた魅力を愛おしみ、世の中に伝えていくというライフスタイルも広く選ばれていくと思う。